切迫早産で緊急搬送!27週で長女を出産。原因は子宮奇形【体験談】

救急者で緊急搬送 育児
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今から約8年前、長女を27週5日で出産しました。

長女の妊娠中は出血の心配が常にあり、初めての妊娠生活はハラハラしっぱなしの毎日。

同じような状況の方の参考になればと思い、記録に残したいと思います。

目次

妊娠初期から切迫流産の診断、続く出血

妊娠8週目くらいでようやく心拍が確認でき、その頃から時々薄っすらと茶色い感じの出血がありました。

『出血ってやっぱりよくないよね???』と毎日不安を感じ、トイレへ行くことすら怖かったことを覚えています。

出血があれば病院へ連絡し、赤ちゃんが無事かどうかを確認してもらうので、4週間に1度の健診期間も毎週のように通っていました。

当時、新幹線を利用して隣県まで仕事に通っていたこと+つわりで会社どころじゃない+出血が続くことで、仕事はドクターストップ!

トイレと食事以外はなるべく横になっていることを条件に、自宅安静の許可をもらって、約2ヶ月間会社をお休みしました。

妊娠11週目の日曜日の夕方、横になっているとサーっと何か冷たい感触が…

カーペットまで赤く染まるほど出血してしまい、半泣きになりながら病院へ連絡。

日曜日なので当然先生は不在でしたが、急いで駆けつけてくれ、急遽診察してもらいました。

『赤ちゃんは元気に動いてるから大丈夫だよ!』とモニターを見せてもらい、やっと一安心出来ました。

妊娠初期に続いた出血の原因はいくつかの血の塊があったから。

この時は一番大きな部分が破れてしまったのだろうと思います。

これ以降の出血は、止まったり出血したりと地味に続き、4か月健診のとき『1週間後に出血止まってなかったら、入院ね!』とついに言われてしまいました。

1週間後…

ついに出血は認められなくなったため、入院もせずにすみました。

安定期

安定期に入ると、それまで頻繁に出血していた状態から一転、全く出血は認められなくなり、それまで休んでいた会社へも出勤するようになりました。

と言っても、一向に治まらないつわり…

安定期になるとつわりは嘘のようになくなると思い込んでいただけに、ダラダラと終わらないつわりに絶望していました。

妊娠期間中、つわりはなくならなかったとはいえ、比較的安定して過ごせていたのは妊娠5ヵ月~妊娠7カ月の中頃までのたった2ヶ月半という短さでした。

妊娠7ヵ月、職場で突然の出血

この日はいつもよりは体調も良く、会社へ出勤。

翌日には妊婦健診を控えていました。

当時はまだ、お腹の張りなのか赤ちゃんが元気に動き回っているのかの区別もつかないほど″お腹の張り″について理解できていなかった私。

出産経験者の同僚と仕事の合間に話していると、頻繁にグリングリンといつもとは違うような動きをしている感じがだったので、その時話していた同僚に触ってもらい聞いてみました。

『多分元気に動いてるんだと思う。お腹が張ってる時は、もっとカチカチに石みたいになるよ。』と教えてもらったので、一安心だったのですが…

念のためトイレへ行ってみたところ、500円玉くらいの出血!

慌てて同僚に話し、しばらく休憩室で横になって様子をみていましたが、徐々に増えてくる出血量。

お昼休みに入ってすぐ病院へ連絡し、職場(当時、新幹線で隣県まで通勤)にいることをまず話しました。

『可能であればまず帰ってきて!戻ってこれたら、また連絡してください。』という感じのことを話されたので、帰れるうちに帰ろうと、取り急ぎ上司にいつもと違うことを話し、早退することに。

ますます増える出血量。

焦りながらも家に帰りつき、病院へ再度連絡。

そのまま入院もあり得ると言われ、スマホの充電だけをバッグに入れて病院へ向かいました。

やはり出血が多く、もしものことを考えると赤ちゃんを助けることが出来るNICUのある病院へ…ということで、緊急搬送となりました。

初めて救急車に乗ったのですが、決して乗り心地のいいものではありませんでした(笑)

道路の凸凹をものすごく感じるくらい、体が揺れます。

病院へ到着し、担架で産婦人科の入院病棟まで運ばれました。

  • 出血量が多く、自覚は全くありませんでしたが陣痛が来ている状態であること
  • 張り止めの点滴を入れて、子宮の収縮を抑えるけれど、最悪の場合、今日中に産まれてしまう可能性もゼロではないこと
  • もしこのまま出産へつながってしまった場合、赤ちゃんの肺が未熟であるため、肺を強くするための注射(ステロイド)を2日連続で投与すること
  • いつ産まれるか予想できないが、産まれるまで退院できないこと

を話されました。

緊急搬送の段階で旦那に連絡、緊急搬送後入院が決定してから実家へ連絡を入れました。

スマホの充電しか持ってきていなかったため、とりあえず必要なものを旦那に持ってきてもらい、長期入院を覚悟して、マタニティ用のパジャマを実母に用意してもらい病院へ送ってもらいました。

24時間張り止めの点滴をしているため、薬に慣れるまでの2、3日は副作用である手の震えや動悸が激しかったです。

夜中に突然の大量出血

色々なことに慣れ始め、出血も止まってきた入院生活5日目の夜中12時頃、濡れている感触がしたので嫌な予感がし、確認してみると、シーツまで真っ赤に染まった状態が確認できました。

急いでナースコールを押し、車いすで待機室?へ移動。

1時間NSTを行うことになりました。

とりあえずは心配なさそうなので様子見ということで病室に戻り、横になっていると、またしても嫌な予感がしたためトイレへ。

この時は大きめの血の塊を確認したため、トイレからナースコール。

またしても待機室?へ移動し、1時間のNST。

この時は『時々胎児の心拍がドン!と下がるときがあり、胎児が苦しい状態かもしれないので、胎児の命を守るために緊急帝王切開を行いましょう。』と言われました。

この時は妙に冷静になっている自分がいて、帝王切開の怖さも感じない状態になっていました。

緊急出産へ

緊急帝王切開が決まり、夜中3時半頃から手術が始まりました。

痛いと聞いていた背中への注射?の痛みもそこまで感じず、大丈夫そうと思っていたのですが…

肝心の麻酔が効きませんでした(;・∀・)

ものすごく痛かったです!

叫びはしませんが、ずっと『痛い痛い、早く終わって。』とつぶやいていたことを覚えています。

この時、看護師さんが隣でずっと手を握っていてくれたことが、ものすごくありがたかったです。

痛みを我慢していたので、握る手に力が入ってしまっていたと思います。

″思っていた帝王切開と違う!″と痛みに耐えながら思っていると、子猫のようなとても小さな声で『ギャー』と一言だけ泣き、産まれました。

子供はすぐに待機していた新生児科の先生に処置して頂き、保育器でNICUに運ばれて行きました。

不安だらけの妊娠生活、無事に生まれてきたことに感謝しかありませんでした。

この時だけ、一瞬痛みは吹き飛びました(笑)

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早産の大きな原因は子宮の奇形にあった

母子手帳の分娩方法の欄には、≪緊急帝王切開術(子宮収縮抑制不能・辺縁静脈洞破裂)≫と書かれています。

この″辺縁静脈洞破裂″とは、胎盤辺縁の静脈洞という母体血液のプールが何らかの原因で破裂してしまうことだそうです。

全分娩の1~2%に見られ、原因は不明だそうです。

早産に結び付いた直接の原因はこの2つのようですが、出産後、旦那が先生に聞いた話では、『子宮の形がハート形(双角子宮と弓状子宮の中間っぽい形)をしていたのが大元の原因ではないか』ということでした。

子宮奇形は女性の5%ほどにみられる病気で、症状が出にくいため、他の理由での検査や診察を行った際に偶然発見されることが多いそうです。

まとめ

いくつもの原因が重なり、結果、早産ということになってしまいました。

27週5日で産まれた娘は、生後1週間のときに命が危ない状況になりはしましたが、幸いにも今では元気に成長しています。

NICU退院後、一度も入院していないので、看護師さんたちに優秀だと褒めてもらえたほどです。

子宮奇形、私は帝王切開を経験して初めて、自分の子宮の形が普通ではないことを知りました。

子宮奇形では早産のリスクが高まることは間違いなさそうですが、臨月まで持ちこたえ普通分娩することは可能なようです。

長女の時に縦切りの帝王切開だったため、次女の時も帝王切開となりましたが、黄体ホルモンの注射を妊娠16週~36週まで週1で打ち続け、37週の予定帝王切開日まで無事持たせることが出来ました。

切迫早産での入院は常に点滴が繋がっているし、先も見えないしで不安が大きいですが、無事に出産されることを願っています。

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