あと2日で目標としていた妊娠8ヶ月になろうとしていた27週5日、長女を出産しました。
入院していたとはいえ、夜中に突然の大量出血。
約3ヵ月半入院していたNICU、退院後のことについて記録に残しておきたいと思います。
目次
891gの超低出生体重児
突然の大量出血によって、身長35cm体重891gの超低出生体重児として産まれてしまった長女。
推定体重は1000gあるかないかと言われていましたが、思っていた以上に小さかったようです。
生後4日目には生理的体重減少のため131g減ってしまい、760gとなってしまいました。
在胎週数26~27週出産による胎児の生存率は94.0%、私が第1目標としていた28~29週での胎児生存率は96.7%。
超低出生体重児となる751~1000gで産まれた赤ちゃんの生存率は94.7%と言われています。
長女は95%くらいの生存率と考えていいかな?とは思ったものの、残りの5%に入る可能性はゼロではないので心配でたまりません。
NICUにいる長女に会いに行けたのは、手術翌日のこと。
手術翌日から歩行訓練が始まりますが、術後の痛みと貧血でフラフラ…
歩いて行ける状態ではなかったので、車いすで連れて行ってもらったことを覚えています。
保育器の中にいる娘はとてもとても小さく、呼吸器やたくさんの点滴・センサー・モニターに繋がれた姿、小さく産んでしまったことへの申し訳なさ、頑張ってくれている姿、いろいろな感情が抑えられずに涙がこぼれてしまいました。
小さく産んでしまったことで色々な問題が出てくるであろうことは覚悟していましたが、生後1週間までの間に、まず動脈管開存の問題が出ました。
生後数時間~数日後には閉じると言われている動脈管。
しばらく動脈管が閉じなかったために、薬を使い様子をみることになりました。
なかなか閉じなかった動脈管でしたが、結果的には薬の効果が現れ、一安心。
動脈管が閉じなければ手術になることもあるようです。
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生後1週間で生命の危機
私が病院を退院したのは、長女が生後6日目のことでした。
問題なく元気に頑張ってくれていた娘が、翌日(生後7日目)から急に容態が悪くなってしまいました。
感染の数値が高くなったことから抗生剤を投与、肺からの出血、むくみのため前日までのお顔とは全く違うお顔。
「お父さん、なるべく早く面会に来れませんか?」という看護師さんの言葉に、最悪の事態が頭をよぎり、NICUでは泣かないと決めていたのに涙がポロポロと止まりませんでした。
時間がたつにつれて容態は悪くなっていき、血液を入れ替える治療(交換輸血)をすることになってしまいました。
いつも以上に増える点滴の数。
この時、下の血圧は測定できなくなっている状態でした。
NICUにいらっしゃる数名の先生が娘のもとに集まり、治療してくださいました。
『私が早く産んでしまったから!』と自分を責めてしまう気持ちがどうしても頭を離れず、涙が止まらない私は、急いで駆けつけた旦那と交代し、私に付き添っていてくれた母といったん家に帰りました。
面会時間は過ぎていましたが、許可をもらい娘の様子を見守っていた旦那。
「出来る限りのことはしました。あとは本人の生命力次第…これ(その時にされた治療)をしたら普通は血圧上がってくるんだけど…」と先生に言われたと教えてくれました。
しばらくすると容態が安定したと連絡が入り、翌日からは徐々に回復。
1週間くらいで体のむくみも取れていき、生後15日目にやっと元気な娘に戻ってくれました。
このとき、赤ちゃんの生命力の強さを身をもって感じました。
生後1ヶ月半で未熟児網膜症
在胎週数32週目から始まった眼科の診察。
生命の危機を脱してからは元気に成長を続けてくれていましたが、在胎週数33週で未熟児網膜症が悪化しだしているということで、NICUの看護師さんが付き添ってくれ、旦那と眼科の先生の説明を聞きました。
『これ以上様子見をすることは危険なので…』という眼科の先生の判断で、生後1ヵ月半、レーザー治療を受けました。
治療はNICUの保育器の中で行われるのですが、この間、面会中でも外に出なければなりません。
待つこと1時間ちょっと。
NICUに戻ると目の周りを真っ赤にし、泣き疲れて眠ってしまっている娘がいました。
1回のレーザーでは血管の伸びを抑えることが出来ず、数日後、右目は2回のレーザーを行いました。
呼吸器卒業&初カンガルーケア
生後57日(在胎週数35週6日)、挿管されているタイプから鼻にマスクをつけるタイプの呼吸器になりました。
それから更に5日後の生後62日目、ついに鼻のマスクも外れました。
これでミルク用のチューブ以外は何もついてないお顔を見ることが出来るようになりました。
呼吸器から卒業できたので、次の楽しみは初抱っこです!
生後68日目、待ちに待った初抱っこ(初カンガルーケア)をさせてもらえることになりました。
呼吸器が取れたとはいえ、まだ保育器の中からは出れていない状態だったので、酸素の出るホース?のようなものをあてながらの初抱っこでした。
在胎週数でいえば37週ではありましたが、1800g弱とまだまだ小さかったので、どう抱っこしたらいいのかという不安が大きかったです。
初カンガルーケアでもあったので、胸元に子供を抱き、洋服の中に入れるような状態でした。
NICUからGCUへ
保育器から外の世界へ出ることが出来たのは、生後90日目。
在胎週数40週、体重は2300g弱の時でした。
今までは自由にすることが出来なかった抱っこでしたが、コットへ移ったことでいつでも出来るようになりました!
保育器の中は常に裸なので、洋服を着るようになった娘がとても新鮮でした。
待ちに待った保育器からの卒業でしたが、モニターに繋がっていることが当たり前だったため、唯一足の裏につけられている血中酸素濃度を測る器械だけになったことだけが不安でした。
入院中の成長&退院
生後28日目、一般的な新生児最終日に体重が1022gとなり、やっと1kgを超えました。
1kgを超えると少しだけふっくら、ぐっと赤ちゃんっぽくなります。
2kgを超えたのは生後79日目、在胎週数39週のことでした。
順調に成長してくれた娘が退院できたのは生後102日目、在胎週数42週。
2652gと小さくはありましたが、3ヶ月半の入院生活。
この日のために用意していた小さめの洋服に着替え、お世話になった先生・看護師さんたちと写真を撮り、無事に退院することが出来ました。
退院時の診断は?
長女が入院していた病院では、退院時に『退院療養計画書』というものに沿って説明してくれ、母子手帳に貼ってくれました。
そこに書かれていた退院時の診断は5つ。
- 早産児(在胎27週5日)
- 超低出生体重児(891g)
- 呼吸窮迫症候群
- 未熟児貧血
- 未熟児網膜症
退院時の体重は2652g。
出生時に比べて約3倍の成長でした!
退院後に気を付けたこと
初夏に産まれた長女が退院できたのは秋。
これから迎える冬に向けて風邪をひかないように指導を受けたので、特に感染症に気を付けました。
早産児はRSウイルスにかかると重症化しやすいと言われているので、入院中~3月まで毎月シナジスという注射を受けるために通院。
2ヶ月から始まる予防接種は修正月齢で受け始めるので、シナジスと同時に受けていました。
風邪をひいても鼻水が出るくらいだったので、電動の鼻水吸引器メルシーポットを購入し、早めに耳鼻科へ。
長女は意外と病気をしなかったので、初めて熱を出したのは1歳1ヶ月(修正月齢11ヶ月)の頃の突発性発疹でした。
お値段はしますが、電動の鼻水吸引器は長く使えるのものなので、おススメです。
まとめ
超低出生体重児として産まれた長女ですが、小学2年生となった今、未熟児網膜症の影響で眼鏡をかけている以外は元気に成長してくれています。
通院も眼科のみです。
身長体重は小さいことに変わりはありませんが、同じくらいの身長体重の子はたくさんいるので、特別小さいということはありません。
今からでも早産の影響が出てくるのではないかと不安になることも多いです。
でも、生後すぐの状態から無事に成長してくれている奇跡に感謝しかありません。
長い体験談、読んでいただいてありがとうございます!
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