前置胎盤(全前置胎盤)でも管理入院なしで無事出産した体験

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全前置胎盤と診断されると、不安でいっぱいの方がほとんどだと思います。

私もそうでした。

検索する日々。

次女を妊娠中、全前置胎盤と診断され転院。

途中いろいろと病気もしましたが、管理入院なし、37週1日帝王切開で無事出産した体験談を残しておきたいと思います。

病気になった部分は参考にならないとおもいますが、全前置胎盤と診断され、これから出産を控える方の参考に少しでもなればと思います。

目次

前置胎盤のまま出産を迎える確率は?治し方は?

妊娠中期の段階で前置胎盤疑いと診断されても、妊娠31週頃までは子宮が大きくなるに従い胎盤が正常な位置に移動し、前置胎盤でなくなる可能性もあります。

全分娩のうち、前置胎盤で出産する確率は0.3~0.6%。

妊娠19週頃までに前置胎盤疑いと診断された人のうち、妊娠24~27週までに治った人は約50%と多くの方が治っているようです。

残念ながら治療法はなく、胎盤が正常な位置まで上がってくれることを祈るのみです。

『前置胎盤疑い』から『全前置胎盤』診断確定、転院へ

私は妊娠19週で『前置胎盤疑い』と診断され、その後の検診でも子宮口にがっつりかかっている状態が続きました。

割と早い段階で、「これだけしっかり胎盤が子宮口にかかっている状態だと、おそらく胎盤が上に上がることはないと思う。」と診断され、警告出血についてかかりつけの先生から聞きました。

出血があった場合、量は関係なくすぐに連絡すること。

時期を見てNICUのある大きな総合病院へ転院のための紹介状を書くことも話されました。

私は長女を妊娠27週(妊娠7ヵ月)の早産で出産しています。

この時は急に大量出血をおこしたため、救急車で緊急搬送され、NICUのある大きな総合病院へ転院しました。

今回も同じ病院への転院を希望。

妊娠25週のある日、少量の出血を確認したので先生との約束通り、産婦人科へ連絡。

すぐに診てくれるということだったので、産婦人科へ向かい診察を受けると、やはりほんの少しの出血が認められました。

前回の長女の時のことがあったからかもしれませんが、先生も「大量出血に繋がる前に」と紹介状を出してくれることに。

金曜日であったため、土日をはさみ月曜日に転院先の病院に行くことが決定しました。

診断確定も転院時期も、思っていたより早かったです…

警告出血の起こりやすくなる時期は?

腹痛を伴わない出血が起こることが前置胎盤の唯一の症状のようですが、お腹が大きくなり張りやすくなってくる妊娠28週以降に増加すると言われています。

基本的に安静にしていること以外対処法はないようですが、安静にしていても出血するときは出血してしまいます。

その時は慌てず病院へ連絡してください。

と言っても、妊娠中の出血。

ほんの少しでも、ものすごく焦ってしまい心臓バクバク、頭真っ白になってしまいますよね。

急な入院になってしまう可能性もあるので、とりあえず必要最低限の荷物を作っておくか、緊急時に持ってきてほしいものリストを作成し、身近な人にお願いしておいた方が安心です。

転院後の通院

妊娠30~32週頃に管理入院を勧めるところが多いようです。

転院前の病院の先生にも、「たぶん管理入院するんじゃないかな?」と言われていたので、もし入院した場合の心配事が多く、妊娠30週までには必要なことをノートにまとめようと思っていました。

長女が幼稚園の年長さんだったので、送り迎え・身支度・持たせるべきもの・お弁当のこと・習い事…

長女についての心配が絶えなかったので、義実家へ現状の説明・もし入院した場合幼稚園へのお迎え、旦那の仕事が終わるまで預かってもらえるよう頼みました。

しかし、一向に管理入院の話が出てこないので先生に聞いてみることに。

「もし出血したら絶対に連絡してもらわないといけないけど、うちの病院は管理入院は特にいつからっていうふうには決めてないよ。なるべく安静にね。」というニュアンスのことを言われました。

管理入院しなくてもいいという安心と、もしいきなり大量出血したら…と不安になる気持ちはありましたが、管理入院せずに済むように、出来る限り安静に安静に過ごしました。

長女が早産だったため、検診以外にも早産予防の注射を週1で打つための通院もあり、不安なことはすぐに聞けるところもよかったのかもしれません。

早産経験者とは思えないくらい子宮頸管も極端に短くなることもなく、転院後の警告出血は1度もありませんでした。

妊娠8~9ヵ月にかけて、薬剤性腸炎に

季節は冬、毎年副鼻腔炎になるのですが、その時は耳鼻科で抗生物質を出されました。

一応産婦人科の先生へも抗生剤の話をし、出された薬を飲み切っても治らなかったことから、違う抗生剤を出されました。

結果、その抗生剤が合わず、薬剤性腸炎でお腹を壊してしまいました。

お腹に余計な力が入ってしまうことや、腹痛のため張りなのかどうかもわからず…

症状が酷かった最初の何日間かは旦那にも会社を休んでもらい、行けそうなときは病院へ連絡し点滴してもらう毎日。

長女の幼稚園の送迎も義父に頼み、治るまで寝込みました。

このときはお腹が張っているのかどうかわからず不安なことを先生に話し、張り止めのお薬『ウテメリン』を処方して頂き、完全復活まで服用し続けました。

一時は短くなった子宮頸管も通常通りの長さまで復活し、妊娠9ヵ月後半を過ごしました。

自己血貯血へ

全前置胎盤での出産は多量の出血を伴うことが予想されます。

そのため、手術に向けての輸血の準備を整えます。

妊娠9ヵ月から自己血貯血にむけての予定を先生がたて、血液検査を行っていました。

そのための血液検査の結果、前回まではなかったはずの貧血に…

貧血のままでは自己血は採れないので、鉄剤を注射することになりました。

鉄剤の錠剤が合わなかったことと、注射の方が貧血の回復が速いらしいので、注射のために毎日のように通院。

毎日注射の成果が出ているだろうと血液検査を行ったところ、全く回復せず(*´Д`)

仕方がないので、私の場合は自己血のストックは0となりました。

不規則性抗体出現

不規則性抗体とは、妊娠や輸血をきっかけに血液中に抗体が出来たものです。

全妊婦の2~3%の頻度で出現するもののようで、妊娠初期及び転院後の血液検査では不規則性抗体は認められておらず、先生も少しびっくりしていたようです。

出産直前の検査で検出されてしまったために、輸血用の血液も、この不規則性抗体が反応しないようなものを探していただく必要が出てきました。

37週1日で無事出産

いろいろな問題が発生した次女の出産。

臨月を迎えるまで、運のいいことに警告出血は転院時の1回だけ!

転院してからは1度もありませんでした。

そのため管理入院もせずにすみ、次女にも自分のお腹にも感謝しかありませんでした。

そして迎えた妊娠37週1日、帝王切開当日です。

長女の時に縦切りで帝王切開していたのですが、この時は麻酔が効かずかなり痛い思いをしたので、今回は効くようにして欲しいとお願いしていたところ、ばっちり効きました。

効きすぎて多少気分が悪くなったりもありましたが、その都度麻酔科の先生に症状を伝え、調整していただきました。

こうして手術開始から約20分、次女が誕生しました。

私の方は少してこずってしまったようで、危ない状況だったようです。

やはり、出血が多く、出血量は約3Lでした。

胎盤がなかなか剥がれなかったようで、一部癒着していたのかもしれません。

前置胎盤のうち、5~10%がこの癒着胎盤となってしまいます。

癒着胎盤だと子宮を摘出することも多いようですが、私の場合は可能な限り胎盤を取り除き、取り除くことが出来なかった一部分は子宮内に残りました。

残った部分も徐々に悪露として排出されること、時間はかかるかもしれないが胎盤が完全に排出されるまで丁寧に診てくれることを先生が話してくださいました。

産後

帝王切開の痛みに朦朧としていた産後、今度は偽膜性腸炎という病気になってしまいました。

手術の際点滴から投与されていた抗生剤でなったようです。

幸い手術以外での腹痛はなかったものの、気分が悪く吐き気・食欲不振。

手術二日後から3日間絶食となりました。

薬を飲む以外の水分摂取も禁止((+_+))

おかげで産後5日で出産前の体重に戻りましたが、二度と経験したくないものでした。

また、絶食が間接的な原因として、傷口が乖離してしまい、入院も1週間伸びて2週間へ…

傷口にぶら下がっていたドレイン?箱?へも、体内からの浸出液が増え始め、いろいろな検査も受けました。

長女が心配なこと、先生も長女が限界だろうと退院を許可してくれましたが、新生児を連れて、週に2~3回傷口の洗浄と薬の付け替えのため通院することが条件。

退院後1ヵ月半、通院にかかりました。

まとめ

日本の医療技術はものすごく高く、私のように次から次に問題が出てくる妊婦でも無事に出産することができました。

出産は何があるかわからず絶対安全とは言えませんが、先生方も万全の態勢で出産をサポートしてくださいます。

前置胎盤は確率的にもなる人が少なく、私自身も不安はぬぐい切れませんでした。

不安を取り除くためにも、先生や看護師さん、助産師さんに聞きまくるのも個人的にはいいと思います。

前置胎盤で出産を控えられている方々が無事に出産されますように。

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